AT EASE代表 長畑 佐代子のオフィシャルブログ

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塩田千春 エネルギーのシャワーを浴びる
森美術館で「塩田千春 展 魂がふるえる」が開催されています。
ベルリンを拠点にグローバルな活躍をしていますが
記憶 不安 夢 沈黙など かたちの無いものを表現したパフォーマンスやインスタレーションで知られます。

オペラや演劇ともコラボしていて その舞台の様子も興味深いです。


今回の展覧会「魂がふるえる」には 言葉にならない感情によって震えている心の動きを伝えたいと言う
作家の思いが込められています。


最初に彼女の作品を見たのは いつだっただろう?
無数の細くて赤い糸に束ねられた世界に 圧倒されました。




この大空間を 覆いつくす糸。
どういう思いで 延々とこの糸らを絡めていく作業をしたのか。
この空間の中に入ると 塩田氏の圧倒的なエネルギーのシャワーを浴びている感覚になります。



館内は 写真撮影ができる作品もあるので
撮影も楽しいですね。


作家自らがバスタブに浸かり 頭から泥水を浴び続けるという映像作品があります。
一見 ぎょっとする映像ですが
ずっと見ていると 泥水とともに 自らの毒も排出しているような感覚になり
泥をかぶる作家と 自分が 一体になっていくかんじ。
そうすると 泥水を被る行為は けっこう気持ちよいんじゃないかと 思ったりして。

 
塩田氏の すごい個性的で圧倒的な世界観に浸るのは
(ほかの センスあるアーティスト同様)
私の中の 私もまだ意識できない知らない自分の感覚が呼び覚まされるのではないか
という ぞわぞわした感覚になります。

以前に紹介した ボルタンスキーも 同じ感覚になりました。


私にとっての 現代アートは
この日常から大きく逸脱した 異常な世界によって
呼び覚まされる 眠った感覚や感情
それが 明日への活力や それまでに囲い込んできたものの脱力 放出に繋がるので
わくわくするのです。


10月27日まで。

森美での展覧会は 期間が長いので 安心。








ボルタンスキー 超刺激的!

本日より 「クリスチャン・ボルタンスキー展」が 新国立美術館で開催されました。

https://boltanski2019.exhibit.jp/


大地の芸術祭や 瀬戸内国際芸術祭にも参加しているフランス人アーティストです。
「展覧会をひとつの作品のように見せる」と語るだけあって
作家自身が個々の作品を組み合わせ 会場を一つの巨大なインスタレーションとして構成しているという。


この手のインスタレーションはとっても好きなので
初日 行ってきましたとも!


しょっぱな
「咳をする男」「なめる男」の
ブラックなグロテスクな映像に 腰が引けそうになりました。((+_+))

入場口から すでに聞こえていた音声がまた・・・・・なかなかに迫力があって・・・
入るやいなや ただものではない予感がしていましたが。


この展示は 入ってすぐ 出ていく女性もいます。そうだろうなあ。
ボルタンスキーを知らないと 出ていきたくなるかもしれない。
かなりの衝撃ですもの。
特に「咳をする男」。 ホラーか。

まずは入場とともに ボルタンスキーの パンチを浴びた感じ。
「なめんなよ!」って。


こういう状況って まず日常生活には 蓋をされて出てこない。
けれど 現実にありそうな状況でもあるかもしれない。

世の中は 実はかなりグロテスクなもので出来上がっているけれど
映画「マトリックス」のように 架空の何事もない状況が演じられているだけ。

そう思うと この映像も興味深いと 無理やり自分に思い込ませたりして。

ここで パンチくらって
腹を据えて 観る!という覚悟が出来るのかもしれません。


その先
顔のポートレートが おびただしいブリキ缶やブリキ枠の額縁の上に展示されている。
まるでイコンのようにも見えます。

私は個人的に鉄とかブリキでできたカンカンが大好きなので
そちらに興味を惹かれてしまいましたが。

うわ!錆びたいい感じのカンカンがこんなに!って。

これは ブリキ枠の額縁ですね。こんな感じ。
展示は毎回 違う雰囲気になります。これは国立国際美術館の様子。




会場を取り巻くように 展示された顔のモニュメントの
圧倒的な空気感がすごいです。
是非 この空間の 異様な それでいて静謐な空気を感じてみてほしい。


さらに その先の会場にある 「ぼた山」が強烈でした。
手前の通路から すでにぼた山が見えているのですが
まるで お山のご神体か!と見紛うほどの不思議感満載。

以前の他の美術館でこの作品の画像を見ていたのですが ここの会場は広いので、さらに圧巻だと思う。
すごいぞ。新国立!

積み上げられた おびただしい黒い服の巨大な山。
天井から 下がる 「顔」の透ける幕が幾重にもはためいて 幻想的。


さすが 空間のアーティスト。魅せるなあ。


日常のものから 宗教的な香りのするものへと。
とてつもない 非日常の世界へ連れて行ってもらえます。


こういう天才的なインスタレーションって
自分をすごく刺激して 日常のつまらない規制の枠組みとかを完全否定してくれるから
わくわくします!!!

伝統的な美しい絵画はもちろん 素晴らしいし 心を癒してくれますが
私は このような現代アート 囚われないセンスを持つ アーティストの作品が
すっごい好きです。

どんなものでもいいわけではありません。
圧倒的センスを持った そういうアーティストに刺激を受けることが素晴らしい体験になるからです。




9月2日まで。


この帰り、山田孝之の次のオシメン 染谷くんと日比谷駅ですれ違いました。

 

 

かお、ちっちゃ!

 

かわいい!

 

 

ますます幸せ🍀

 

 


 

ルート・ブリュック 可愛いが止まらない
東京ステーションギャラリーで「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展が開催されています。




ルート・ブリュックは フィンランドの陶芸アーティスト
没後20年を記念して。

展覧会の表紙に使われているこの 作品を見て 
「これは 観に行かなくては!!」
と思ってしまいましたとさ。




晩年は 具象でなく抽象的な非常にシンプルな スタイリッシュな作品になっていきますが
私は 最初のころの 土臭い陶芸作品が好き。

もう めちゃめちゃ ツボに 可愛い。






2階は 写真撮り放題です。

陶器なのにこんなに可愛い。



6月16日まで。
至福の休日
5月の気持ち良い朝。
一年で最も 素晴らしい季節ではないでしょうか。

こういう 晴れて 穏やかな日は
外に出かけたくなるのです、わたしは。
オープンカフェでコーヒー飲みたいなー。
でも
先日 美術館に行き 緑を眺めながら外でコーヒーは飲んだから
今日は 外に出ないと決めました。


天気が良いから 冷蔵庫の掃除や洋服の整理にもうってつけなのですが
今日は 私のためだけに時間を使うことに決めた!

一日のルーティンを終えて
掃除 洗濯 ストレッチ ヨガ
けっこう毎日 時間がかかります。
朝一で 図書館に行き 植物画や 美術の 分厚い本を何冊も借りる。
その荷物を よっこらしょと抱えて スーパーに寄り
ハーブ入りのチーズなんていう おしゃれな食材を買い
家に帰って 自分だけの優雅なサラダを丁寧に作る。

お気にの CDをかけ

たっぷりのコーヒーを飲む予定で
カフェインレスのコーヒーをたっくさんいれる。

家中の窓を開けて
自分だけの ランチを食す。

それから 色鉛筆や色ボールペンを たくさんがちゃっと広げて
今日は 絵を描くのです。

小学生のころから絵をかくのが好きで
こどもが生まれると こどもたちを主人公にした絵本をかいて 読み聞かせしたり
娘には せがまれるので 毎日 お姫様を描いていました。

こどもたちが 大きくなってきたり
それどころじゃないような生活に突入したこともあり
もう 20年以上絵を描くことを全くしていませんでした。

今年に入って クレパスやら 色鉛筆やらを見ると欲しくなり
画用紙も欲しくなり
描きたい欲求が生まれたので 

試しに 描いてみたら それが 下手で。(笑)
お姫様をかいてみたら あらひどい。
それを娘に見つかって 「ママ へたくそになったねー」と言われ
ほんと どんなに好きでも へたくそになっちゃうんだと感慨深い思いをし
好きな絵を模写するところから やりなおそうかと思った次第です。


最初は どうかいていいのかわからないで 戸惑いました。
一時間もすると なんとなく思い出してきて
あっというまに 数時間が過ぎていました。

楽しかったんです。すごく。

ああ これこれ。
こういうの 好きだったんだよ。
色を使うのも たっのしいな〜 

と 思い出してきて
幸せな昼下がりを過ごせました。


みなさまにとって 至福の休日とはどんなものでしょうか。
美術館も楽しいのですが
自分から 好きなことを表出するのって 楽しいですね。
書くことも嫌いじゃないので
ブログを書くことも 楽しいのですよ。


あっというまに 夕方です。
そろそろ 夕飯の支度と明日の準備。

5月の 素晴らしい季節に感謝!



「ウィーン・モダン」から「クリムト」へ
国立新美術館で「ウィーン・モダン展」が開催されています。

19世紀末から20世紀初頭のウィーンの 装飾的な文化を いろいろな分野で紹介しています。
建築 絵画 衣装 食器 家具


特に見たかったのは
早逝の画家 エゴン・シーレ
強烈な個性を持つ この画家は やはり天才。

そしてやはり こちらの展覧会の看板はクリムト

どうやらプロトニックだったらしい 愛人の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
本人は気に入らなかったらしい。

後のクリムトの代名詞になった 金箔を初めて使った絵画
「パラス・アテナ」
日本画の影響をこれより大きく受け始めているのが分かりますね。

クリムトが所属していた ウィーン分離派のポスターが また かっこいい!
たくさんのポスターとカードが展示されていますが
どれも 本当に素敵!
展示されていたカードの複製が ぜひ欲しかったのに!ありませんでした。



クリムトを見たら やっぱり こっちもぜひ見ないと!という気になります。

東京都美術館「クリムト展」

こちらは 過去最多の油彩20点以上のクリムト作品が展示されています。

めちゃくちゃ 色っぽい 「ユディト」

クリムトっぽくないけど ものすごく愛らしくてかわいい
「ヘレーネ・クリムトの肖像」

複製だけど 圧巻は 全長34メートルの壁画
「ベートーヴェン・フリーズ」


やっぱり クリムトの描く女性は 素晴らしい!
ため息が出るくらい エロティック。

ルノワールの女性像は 女性の理想像ともいえるもの。
女性なら 誰でも ルノワールに描いてもらいたいと思うのでないでしょうか。
やわらかで穏やかで なおやかな 美しい女性として。

クリムトの女性像は うんと生々しい。
女性の怪しい魅力を これでもか!と表現している。

そして クリムトの描く肖像画は 他の画家とは一線を画す。
「オイゲニア・プリマフェージの肖像」は 参りました。って感じ。
さすがです。
見てください。

やはり クリムト 恐るべし というものが たっくさん 展示されていますので
見ごたえ十分です。


クリムトを堪能して 幸せな一日でした。





無印良品銀座って
開店したばかりの 「無印良品銀座」に行ってまいりました。
私もミーハーだな。

無印は 特に日本製のものがお気に入りで 低価格で質の良いところが好きです。
今は扱っていないようですが 以前 日本製のガラス商品はとてもよかった!

安いガラス製品は イケアとかに たっくさんありますが
薄くてもろい。
けれど 国産のガラスは 美しいのに丈夫です。


新しい店舗は 見せ方がおしゃれでした。
店舗が変わると 人はこんなに買うんだなと感心してしまいましすね。
開店したばかりの土曜日は 夕方も 入店するのに並ぶくらい。

私の好きな籠系 布系が おしゃれににディスプレイしてあるので ちょっとアドレナリンが上がりました。

6階には アートな本が図書館みたいにあり それを椅子に座ってゆっくり読むことができる。
カフェもあるので 飲み物をオーダーすることもできる。
代官山や 銀座の蔦屋みたいです。

6時過ぎたあたりから すきはじめたので ゆっくり見るなら夕方以降ですかね。

店舗の印象は ユニクロ銀座に似てる。と感じました。
以前の有楽町駅前の店舗のほうが 広いしゆったりしている感じでしたが
銀座店舗は 「見せ方」に力が入っています。

一階の ソフトクリームも美味しい。特にほうじ茶ソフトはお勧めです。

上階は無印良品の品物で作り上げた ホテル。

「WA」というレストランがあります。

野菜や食材にこだわった和食のお店。
早速 夕食をいただいてきました。


ごはんもおいしかったし お野菜も おかずも
正しい和食という感じで 体に優しかった。
食べ疲れすることもなく 嬉しい食事でした。

添加物や油に弱いので 外食は和食が中心になりますが
ここの和食は 正しい。


今回
私はイラクサ製品を購入しました。
ガサガサした感じが ワイルドで好き。💛
イラクサの糸玉も購入したので それでコサージュを作ってみよう。



マックイーン モードの反逆児
アレクサンダー・マックイーン
とんでもない想像力と破壊力を持ったデザイナーという印象でした。

自分の「マックイーン」といブランドを維持するために
ジバンシーや グッチに雇われて こき使われて
疲弊しちゃったのか。

彼の伝記的映画ですが
どうしてマックイーンは あんな悪魔的なデザインを量産できたのか。
そして 彼のエネルギーはどこから?

過去のコレクションが デビューの時から遡って 観ることができるので
とても興味深い。

一番の理解者であった お姉さん的なスタイリストを2007年に失い
2010年 母親の葬儀の前日に自死。

どうして あの若さで死ななければならなかったのか。
それが この映画で語られています。

天才ゆえに
過酷なスケジュールを長年こなせてしまった不幸。
孤独の中で 絶望してしまった人。
ファッション界って恐ろしいですね。
どのように才能ある人間からエネルギーを容赦なく奪っていくか。

学生時代は どの科目でも 洋服の絵を描いていたというくらいのデザイン好きで
卒業後は 精力的に様々な技術を貪欲に吸収していく。
田舎の愉快なお兄ちゃんという風貌から
ドラッグで 価値観が転換していったのか 脂肪吸引しちゃって
どんどんやせ細っていってしまって 骨と皮だけになっていく様子。

切ない・・・・

けれど
彼の最後のコレクションは 本当に圧巻!!!!
命をかけた 総決算的な迫力で素晴らしいです。

マックイーンという とてつもないデザイナーがいた。
ということは モードの歴史の中で永遠に残るでしょう。

感動的な映画でしたが
映像が 私には 苦しかった。
若ければ問題ないのだろうけど おばさんにとって あの撮り方は見ずらい。
目は疲れましたが 最後に 感動は残りました。


出た! 品田教授の「令和」解釈

東大教授 品田悦一氏



この方の万葉集解釈 ものすごく面白いのです。

万葉集は 貴族だけでなく 一般大衆の歌も掲載されているというふうに 思われているけれど

ちがーう!と おっしゃっていまして

とっても 頭脳明晰で 大変攻撃的なところが 私の好むところの先生であります。



品田教授の 万葉集解釈の講義 東大で一度だけ参加させていただいたことがあり

その時の 印象が強烈です。あったまいいーーー!

なぜ今までの解釈が間違っているのかを 大変明晰に述べていらっしゃいました。

万葉集大御所の大先生への非難を ここまで怖れずにやれるとは! というかんじ。

こういうの大好きなので。


その 品田教授が 「令和」の本当の解釈を緊急投稿してくださったのがあり

それを 記載します。



万葉集 難しいんですよね。

ちょっとだけ お勉強しましょう。

長いけど 読むと面白いですし 賢くなります。

特に面白いところは 赤字にしました。



********************



新しい年号が『令和」と定まりました。
 典拠の文脈を精読すると、

  権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない

 という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。

 この点について私見を述べたいと思います。
 なお、この文意は『朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、
 まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目におけたところ、
 緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、
『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。
 天平二年(七三〇) 正月十三日、大宰府の長官(大宰帥:そち)だった大伴旅人が
 大がかりな園遊会を主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌を
 まとめるとともに、漢文の序を付したのです。

 その序に「干時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。
〈 折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ 〉というのです。

 これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、
 全体の理解と部分の理解とが栂互に依存し合う性質を持ちます。
 一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。

 この場合のテキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。
 八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)
 さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていまずから(八四九~八五二)、
 序と三八(三二+ニ+四)首の短歌の全体の理解が
「干時初春令月、気淑風和」の理解と相互に支え合わなくてはなりません。

 さらに、現代の文芸批評でいう「 間テキスト性 intertextuality 」の問題があります。
 しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、
 奥行きのある意味を発生させる関係に一注目する概念です。

 当該「 梅花歌 」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、
 もっとも重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「 蘭亭集序 」の名が早くから挙がっていました。
 この作品は書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、
「梅花歌』序を書いた旅人も知悉していただけでなく、
 読者にも知られていることを期待したと考えられます。

「 梅花歌 」序の内容は、字面に表現された限りでは
〈 良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。
  そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。

「 蘭亭集序 」の詩句や構成を借りてそう述べるのですが、
 この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、
 原典の文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。

「 蘭亭集序 」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて
 歓楽を尽くそうとするむねを述べており、
 ここまでは「 梅花歌 」序とよく似ていますが、
 後半には「 梅花歌 」序にない内容を述べます。

 人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。
 だからこそ面白いともいえる。
 人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。
 昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を統むと、
 彼らの思いがひしひしと伝わってくる。
 私が今番いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか ……。

「 梅花歌 」序には、人生の奥、深さへの感慨は述べられていません。
 続く三二首の短歌も、
〈 春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ 〉(八一五)やら、
〈 梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか 〉(八二〇) やらと、
 呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、
 そしてそれは、旅人が大宰府の役人たちの教養の程度を考慮して、
「 蘭亭集序 」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが、
 旅人自身は 「 蘭亭集序 」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。
 その証拠に、上記『 員外思故郷歌 」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)
  … わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。
    空飛ぶ仙薬を服用してむ若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賎しきあが身またをちぬベし(八四八)
  … 空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

 というのです。
 人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。
 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。
 旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、
「 都見ば 」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 都はどうなっていたか。
 皇親勢力の重鎮として旅人が傑い信瀕を寄せていた左大臣、長屋主
 ── 平城京内の邸宅跡から大量の木簡が発見されたことでも有名な人物 ──
 が、天平元年つまり梅花宴前年に、
 藤原四子( 武智麻呂・房前・宇合・麻呂 )の画策で濡れ衣を着せられ、
 聖武天皇の皇太子を呪い殺した廉で処刑されるという、
 いともショッキングな事件が持ち上がったのでした。
 この事件は後に寛罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。

 旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、
 遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。

『 万楽集 』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、
 梅花歌群の少し前、天平元年のところには、
 旅人が藤原房前に「悟桐日本琴(ごとうのやまとごと)」を贈ったときのやりとりが載っています。

 事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。
〈 君たちの仕業だろうと察しはついているが、あえてその件には触れないよ 〉
〈 黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物はありがたく頂戴しましょう 〉
 と、きわどい腹の採り合いを試みている
 ─ あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、
 とにかく、巻五には長屋王事件の痕跡、が書き込まれている。

 巻五だけではありません。
 巻三所収の太宰少弐(次席次官〉小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛なり (三二八)

 は、何かの用事でしばらく平城京に滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、
『 続日本紀 』によれば老は天平元年三月、
 つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、
 たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。
 すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる
 ─ そういうことが行聞に読み取れるのです。

 また巻四には、長屋主の娘である賀茂女王と大宰府の官人だった
 大伴三依(みより)との交情が語らえていて、
 三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです (五五六)。

 さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、
 直前に、長屋王の嫡子で事件のさい自経した、膳王(かしわでのおおきみ)の作を
 配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件を喚起する仕掛けに相違ありません。
◆偶然の符合にしては出来すぎている。


「 梅花歌 」序とそれに続く一鮮の短歌に戻りましょう。
「 都見ば賎しきあが身またをちぬベし 」のアイロニーは、
 長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。
 あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。
 王義之にとって私が後世の人であるように、
 今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。
 その人々に訴えたい。
 どうか私の無念をこの歌群の行聞から読み取って欲しい。
 長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。
 権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。
 だが、もはやどうしょうもない。私は年を取り過ぎてしまった ……。


◆これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。
 テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。

 断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。
 つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで
 安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。

 もう一つ断わっておきますが、「 命名者にそんな意図はない 」という言い分は通りません。
 テキストというものはその性質上、
 作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。

 一つは、新年号「 令和 」が〈 権力者の横暴を許さないし、忘れない 〉
 というメッセージを自分たちに突き付けてくること。

 二つめは、この運動は『 万葉集 』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。

 もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった
 自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです
(「迂閲」が読めないと困るのでルビを振りました) 。

 もう一点、総理の談話に、『 万葉集 』には
「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌 」
 が収められているとの一節がありました。
 この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、
 今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。
 高校の国語教科室もこうした記述を避けている。
 かく言う私が二十数年かかって批判してきたからです。
 安倍総理 ─ むしろ側近の人々 ─ は、『万葉集』を語るにはあまりに不勉強だと思います。

 私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった12ページですから、
 ぜひお目通しいただきたいものです。
 東京大学教養学部主催の「 高校生のための金曜特別講座 」で語った内容ですから、
 高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います。

【記】
 品田悦一「 万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」
 東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』2017.8 白水社

奇想の系譜 すっごい面白い

東京都美術館で 現在「奇想の系譜展」が開催されています。


若冲や 蕭白は もう今までたっくさん見てきたし
今回は いいかなと思っていたのですが

娘が感動したと言うし
息子が 京都から日帰りでわざわざ見に行ったというし

やはり 見ておこうと 行ってまいりました。


岩佐又兵衛を 私は初めてこの展覧会で見たのですけれど
すごかったです。


「奇想の系譜」は 東大名誉教授の 辻先生が 1970年に出版したもので
辻先生によって 今やすごい人気になった若冲という画家が 現代日本に見出されました。
若冲以外にも 曽我蕭白や 長沢芦雪 狩野山雪 など。

辻先生 一押しが 又兵衛なんですね。



岩佐又兵衛の 絵巻物が圧巻でした。

「山中常盤物語絵巻」 全長なんと150メートル。
MOA美術館が所蔵しているので 今回の展覧会前は MOAで展覧会があったようでした。




殺害シーンが 生々しく ものすごい迫力で
ついつい目が引き込まれてしまいます。

「浄瑠璃物語」




物語の詳細な描写が そのまま絵に写し取られています。
主人公の 着物の柄や文様
部屋のしつらえ

絵全体に 焦点が合わされ 強烈に緻密に描かれており
息をするのを忘れるくらいです。


 
展覧会見た後 辻先生の「岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎」
という本を買ってしまったくらい。

又兵衛の絵巻が 浮世絵の始まりだと。
又兵衛の描く 人の表情がなんとも 素敵で 
合戦場面や 殺戮場面なのに どこかユーモラスなところもあり。

私は 大好きな ブリューゲルを 思い出していました。


7日日曜日までの展覧会なので
こんな 終了間際で 申し訳ありませんが
東京で見られる間に 日本画好きは ぜひ見てほしい!!!!

 

トルコ至宝展 初日

海外ドラマ オスマン帝国外伝にはまっているわたし。

 

国立新美術館で 本日より「トルコ至宝展」始まりましたので

初日に行ってまいりましたとも。

 

ドラマの主人公 スレイマン1世の長衣! これが!あの!

という感じで 一人 興奮していました。

 

何よりも 宝石がでかい!!!!

天井飾りや 短剣の握りに使われた エネラルド の大きさが半端ないのです。

 

大きな石が大好きなので

数々の宝飾展を見てきたのですが

どうやら 私はダイヤモンドよりも でかいエネラルドを見ると 興奮するということを

再確認しました。

 

アドレナリンが ぶわっと上がります。

なぜ エメラルドなのでしょうか・・・

 

こんなにトルコにはまるとは 自分でも驚きなのですが

以前の記事にも書きましたけれど

自分的には前世が 16世紀のトルコだったと勝手に妄想しているのです。

それも トルコ人ではなく ユダヤの商人だったと。

何しろ

このドラマを見たら 装飾品や衣服や布に はまるはまる。

みんな好きなものばかりで びっくりしてしまったわけで。

 

中でも 一番の驚きが 理想の男性像を見つけたのです。

今まで 日本人にも白人にも この顔がものすごく好き!という男性にあまり出会わなかった。

奥様方が 昔騒いでいた 韓流にもまったくときめかず

私って ドライなんだな、と思っていたのですけれど

 

違いましたね。

このドラマの 小姓頭 マルコチョールが まさに!ど真ん中!の男性だったのです。

 

 

筋肉隆々 背中もたぶんシルバーバック(ゴリラの)

切れ長の目 眉毛が濃く 顎がしっかりしている。

なるほど これが 私が惹かれるイケメンだったのか!

まさか トルコにいたとは。

人生60年にして 初めて自分の理想の男性を見つけるなんて・・・・・

うっわ 息子と同い年だ。

 

トルコで一番の超絶イケメンモデルだという。

 

 

そういうわけで 今回の展覧会

宝石や 布など わくわくするものがたくさんあって

若返りました。