AT EASE代表 長畑 佐代子のオフィシャルブログ

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心の後に身体
心に大きな打撃をくらうと

深い悲しみとか
強烈な驚きとか 怒りとか
大きな失望とか 

心がある程度回復したころに 必ず身体に出てきますね。


この「心が回復してきたころに」というのが にくい。
心がボロボロの時に 身体もボロボロになってしまったら
もう 立ち直れない。

だから
ちゃんと 心が回復してきて よしもう 大丈夫かなと
思われる時点で(誰が思うのかな) 身体に影響が出てくる。

特に こども
原因が分からない こどもの身体の不具合とか 不調は
だいたい さかのぼって 半年とか 3か月くらい前の 出来事に由来していることが多いと思います。

神経症とか 原因不明の痛みとか 不眠とか・・・


お医者様に行くのと 同時に
半年前に何があったのか
考えてみると その原因が判明することがあります。
これは 私の経験上のことですが。

同じように
大人も 心の問題が ある程度解決した後に
身体をやられます。
やられるっていうのは ちょっと言葉が正しくないかも。
完全に回復するために 身体にたまったうみを 表出させる、ということかな。


私の場合は ぎっくり腰。
ちょうど 半年前 かなりの出来事がありまして
心をひどく折られました。
深い悲しみから だんだんその色を変えて
最終的には 猛烈な「怒り」?
こういう感情は何十年ぶりだろうという心の揺さぶりでした。
そこから 心が立ち直ってきたなあと
気をゆるませていたら ぎっくり。ゆう★

もちろん その引き金はありました。
長い時間 寒い公園で 銀杏の葉を拾っていたから。
「冷え」ですね。

そのあと
きたんですわ。

ご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが
腰」は 「怒り」の感情に左右される個所です。
腰痛も。

ちなみに
驚きは 心臓に
悲しみは 肺に
不安は 腎臓に
気づかいは 胃に
まさに 胃潰瘍なんて その表れですものね。
怒りは 肝臓に。腰にもね。


ああ この痛みは
心の痛みでもあるのだな。
私の腰は 私のあの時の感情に耐えていたのだな。

そう思うと
この ぎっくり腰の痛みも 感慨深い。kyu

話は変わって
ぎっくり腰は 来年4月から始める 私の全身整体エステでも治療できます。
頸椎と股関節 背中にアプローチしたら 治っちゃうんです。

自分で自分の整体はできないから
夫に 懸命に説明してやってもらおうとしたけど
なかなかうまくいかない。
なので
完治に数日を要しましたが
回復しました。


ぎっくり腰をやって
半年前の自分を振り返り
回復した心に感謝しました。


起きる出来事は すべてが感慨深い。

向き合わない
今年 ものすごく夫婦として向き合ってしまい
軽い 鬱になった。

こんなに気分が落ち込むなんて 本当に 何十年ぶりでしょうか・・・・
生命力を失う感じ。


こんな長い間一緒にいて どうして私の気持ちが分からないの?
あるいは
どうして理解してくれないの?

とてもとても落ち込みました。

何故こんなに パートナーを傷つける言葉が出るのだろう?
そして その言葉に こんなに傷ついた自分にも驚いちゃったわけでして。

めでたく
鬱からは短期間で脱することが出来ましたが

夫婦ってつくづく難しい。

「人生フルーツ」というドキュメンタリーが ミニシアターでロングランしています。
90歳の建築家と 87歳の それを献身的に支える奥様の物語で
究極の理想夫婦として 観た人は感動する。
夫婦の価値観が 素晴らしい。その生き方も素晴らしい。
映画を観ながら 号泣している人も・・・

その 奥様が インタビューで
秘訣は 「向き合わないこと」とおっしゃっていて
びっくりしたのと同時に 感動しました。

それはどういうことだろう?
と自分なりに解釈してみたのですが

まじめに向き合ってしまうと
とことん 自分を理解してもらおうとしたり
相手の 言動が信じられない!と 否定したくなったりするけど
向き合わなければ
現在の状況だけに感謝できる。

今ここにいる 相手だけを見て
その行為や 言葉に感謝できる。
しょせん 他人なのだから 分からなくてもいいんだ。
違っていて当然なのだ。
分からなくても 好きなところがあるからいいんだ。

そして 相手をうんと思いやることができる。
結果 自分も大事にされる。

ということじゃないかと。

そんなふうに
向き合わない、と決めてしまうと
なんて 楽なのでしょうか!

どんなことを言われても されても
まあ いいや。
と流せます。

違っていい。
分からなくていい。

好きなところがあれば それでいい。

違う部分がたくさんあるパートナーですので
おかげで 私のキャパシティはかなり広がりました。
でも さらに
そのキャパシティは 無限大になりつつある。

この 流れに 人世に感謝。







地球温暖化?
本当に地球はこれから先 二酸化炭素によって 温暖化が進行していくのでしょうか。

科学者たちの多くは むしろ 今後地球は ミニ氷河期を迎えると言っています。
氷河期に向かうまでの 気候変動のジグザグの一部として気温が上がっているとも。


温暖化ビジネスは ネットでも取りざたされています。
不安を植え付けることで 温暖化すらも一大ビジネスになる。


さらに
興味深いことを聞いています。

温暖化の影響 つまり 一番の問題は海水温が上昇していることにより
巨大な台風が発生したり
異常気象になったりしていますが

この原因は 実は 排出ガスではなく
「海洋深層水」の大量 くみ上げにある、と。

海洋深層水は いわば 地球の「血」にあたるもの。
その 地球の血液を大量に汲み上げている。
そのことにより 地表の温度が上昇している。
地球が 肌に炎症を起こしている。と 考えればいいのかな。

排出ガスに限って言えば 中国やアメリカが問題になるのでしょうが
海洋深層水は 日本もかなりの量をくみあげているそうな。

石油と同じように
どんなに汲み上げようが 資源は枯渇しないなんて
あり得ませんね。
深層水も 同様ではないでしょうか。

アメリカの大統領が どんなふうに本気で 温暖化問題をとらえているのかは
分かりません。
今までにも 歴代アメリカ大統領とは違う ものの見方をしているらしいということは
理解できますが
以外に 世界のエリート支配層に対抗して
公表してはいけない真実を ちょっとずつ暴露していたりして。

だから 徹底的にやられるのか?

あまりにも
メディアが 一方的に悪者呼ばわりしているときは
何かある。
と 私の本能が警告しているのですよねー。

お隣の国は パリ協定うんぬんよりも
大気汚染を早くなんとかしてくれ、と願います。
このところ PMの濃度が高くて のどが痛いです。





分極化の前の混沌
世界がいろんな意味でにぎやかな状態が続いています。

自爆テロ
政治の混乱
グローバルから自国主義へ

まるで あたかも絶望的な状況に見えます。
このままハルマゲドンに突入するのか。的な。

けれど

これは たぶん 
地球が全く新しい時代に突入したことの 証ではないかと
思うのです。

このことは
各国政府が 宇宙人や宇宙船のディスクロージャーをしはじめていることと
リンクしているのではないですか

私たちがずっと洗脳されつづけた 地球の歴史からの 解放。
地球とはいったいどんな立ち位置の惑星だったのか。

精神世界のことと 笑い飛ばしてはいられません。
もう 見ない 知らないでは済まされない。

UFOは こんなに世界中に出現しているのですから。

それを自覚するかしないかで
私たちの意識は 両極端に分かれていると思うのです。



不安と恐怖を抱える 世界と
自信と平静に支えられた 世界とに
みごとに分極化しているような


新聞やテレビのニュースしか受け入れようとしない人と
なんとなく違和感を感じて 自分で 真実を探そうとする人と

少しずつ事実に気がつくと
自分の 人間としての 実はものすごい能力に気がついて
それをだんだん 駆使できるようになる。

だから
未来に希望を持てるようになる。
自分にも絶対的な自信を持てるようになる。

「私は大丈夫」と思えた瞬間
世界は うんと楽な展開をみせていく。

大事な選択を人任せにしたり
目の前で起きている事件を 鵜呑みにせずに
自分の足で立っていくという 気構えがあれば
自分を取り巻く世界は 変わっていくというように。

もう 人間があちらとこちらに みごとに分かれ始めていることの「混沌」。

不安と恐怖の世界から 足を洗いましょうよ。
そして
自分で自分の所属する世界を 構築していきたいです。

意識さえ変われば
なんでもできると思うのね。






失ったら 得たもの
このブログのほかに つまらないプライベートなブログを書いていました。

数年の間に そちらのブログを通して 読者さんとのつながりもできたりして
そちらはそちらで 楽しんでいたのですが

不可解な状況で
その日の夕方まで変わりなくログインしていたのに
いきなり どうやってもログインできなくなり
解決策が見つからないという 不思議なことになりました。

いきなり 自分のブログに入れなくなってあせりましたが
「まあ、これも流れなんだな。」
と 割り切って そちらのブログとはお別れすることになりました。

数年間の蓄積が 無になったわけなのですが

だいたい

こんな風に 何かを手放さざるえなくなった場合は
その見返りに 何かを受け取ることになっている。


そうしたら
間髪入れずに 大きなプレゼントをもらってしまいました。

私の身体は幼いころからあちこち 弱く
持病も抱えているのですが
そのうちの
今のところ 一番頭を悩ませている体の状況が 劇的に改善しました!
身体の不具合の原因と それを治す方法が見つかってしまったんです。

まずもって
病院や整体では 分からなかっただろう、という内容です。

驚くようなきっかけで 痛みの原因が判明し
その原因を取り除く処置をしたら あら、びっくり。
今まで 痛かったのは なんだったのかしら。という感じになりました。


もう一つのブログは 私にとってもけっこう大切なものだったのですが
こんなわけで 大切なものを失くした見返をもらうことができました。

あちらのブログも こちらのブログも読んでくださっている読者様
そんなわけで
もう一つのブログは 更新できなくなりました。

実は 以前から さらにもう一つ別のブログをひそかに立ち上げていたのですが
それはきっと
こんな風になることを 無意識に感じて 用意していたものかもしれません。


だから
思いの詰まった 「もの」
それを 手放すことになったとしても
見返はもらえます。

失くしたら わくわくして 「何がくるのかな?」と
期待して待っていましょうね。

けなげにわくわくしていたら
きっと 何かをくれると思うから。



泣き女
友人が亡くなりました。

ご家族は 家族葬をするから それ以外の方はご遠慮くださいとおっしゃる。
さらに 家にいらっしゃるのもご遠慮いただきたい、との意向。

こういう場合
遺されたものは 故人にどうやって今までの感謝の念とか 現世での別れという
けじめをつけたらいいのだろう。
切ない・・・

今まで 葬儀というものは
亡くなった本人のため というよりも 遺された家族や友人のためのもの
という意識を持っていた。
故人が もうこの世の肉体界にはいない、という自覚を持つためのけじめだと。



連絡網を流していたら
風水を勉強している友人から指摘を受けた。

風水では 故人の魂を骨から剥がしてあげないとだめだという。
日本では火葬が一般的なので 荼毘に付す前に
骨から魂を剥がしてあげる必要がある。
そうでないと 骨が魂を記憶して 魂が自由でなくなる。
家族葬というひっそりとしたものだけだと 魂を剥がすことにはなりにくい。

「泣き女」というものは そのための儀式の一環でもあった。
だから
私たち友人も 彼女の魂のために
追悼をして 涙を流したり 彼女の思い出を語らなければ!

それを受けて
お別れをしたいと思う人たちが集まり
荼毘に付される前に 急きょ追悼のつどいをした。

彼女の空席を囲んで
みんなで 彼女を語り 涙を流すという集まり。


葬儀というのは
遺されたもののためだけではく
みんなが泣いたり 彼女を語ることで
亡くなった個人に 「あなたは死んだんだよ。」ということを自覚させる儀式でもあったのか・・・

長く患って亡くなったわけでなく
本当に急に逝ってしまったから
本人は きっと戸惑っているだろう。
なんとなく あやふやな感じで みんなに会いにきてくれているという感覚がある。
私 どうすればいいんだろう・・・という感じ。


彼女が大好きだった レストランで
彼女が愛した食べ物を食べ
店の常連の彼女のために お店の人が特別のカクテルも 彼女に作ってくれた
涙を流し 彼女の空席に向かって冗談を言い
みんなで「あなたがいてくれて ありがとう」と言い
彼女がどんなに大きな存在だったかを みんなで確認した。


そんなふうに
私たちだけでなく そのほかの 彼女を愛する友人が
彼女と ちゃんとお別れと感謝を伝えたいと 思うことで
ご家族が 告別式を開催してくださるという流れになった。
みんなが来れるように。と。

この流れに感謝。

彼女の肉体にも お別れを告げる機会を与えてもらった。

本当に 今まで こちらの世界で ありがとう。
これからは アストラルの世界で 一緒にいてね。




「ある」ものが「無い」とき
いつもそこにあるものが 見当たらない。

そこに置いたはずなのに どこにもない。


こんなことが 続けざまに起きるときというのは
私の場合
自分の次元がずれているとき。


探している「もの」が まるで 次元pocketに入りこんでしまったみたいに
見当たらない。


そして 以外なところから 出てきたり。
「そこ 探したはずなのに」という ところから 再び出現したり。

身の回りの「もの」たちが 次々と姿を消して
いつもの場所から 消えた時は

たぶん
自分の次元がずれて 違うところにいってしまったせい。


ずれるときというのは
たいがい 自分にとって「楽しい」あるいは「期待した」世界にずれているとき。
と 私は解釈しています。


私は 来年 一つの大きな節目を迎えるつもりでいます。
これは けっこう 長い間かけてもくろんできたことで
それに向けて現在ものすごく楽しい準備を着々と進めているところなのですが
そんなときに
こういうふうに 身近な「もの」たち けっこう大事な「もの」たちが
かくれんぼしてくれると
「まったく、もう!」と イライラしたりはせずに
「かくれんぼしちゃってるのねー。どこにいるのかなー。いつ 出てきてくれるのかなー。」
って けっこう楽しい気持ちになります。

ものすごく切実なものが姿を消すこともあるのですが
きっとそれは 今必要ないということなのだろう、とか
それ以外の物を代用しなさいということなのだろう、とか
それの代替え品を入手するために 何かしら動いたほうがいいのだろうな、とか
そのように 身勝手に解釈します。
代替え品を入手するために奔走したりすると その過程で思わぬ複産物をもらったりするからです。
そしてその副産物は 実はとても希求していたものだったり。ってね。

今日は朝から いろんなものが姿を消している。
来年のあることを実現するために
自分自身を次元移動させているんだな。
と ひどく楽観的に構えているところ。

一つだけでなく いくつかのものたちが姿を消すと 楽しくって うれしくってしかたがありません。

「望む方向に 未来を創っているんだな!」

と 自覚できるから。


自らの次元操作能力が高いと
家族の物まで 消失させることもある。
家族の物が無くなる時も 私はすごく楽しくなっちゃうわけです。

おお!
大規模にずれてる〜。
なんて。


毎日 楽しくってしかたないのですが
そんなわけで ここ数日 ますます楽しくってしかたない。

運命の人
「運命の人」というのは
自分を劇的に変化させてくれる人。と私は個人的にとらえています。


その人と出会うことで 今まで味わったことのなかった 安心感とか幸福感を感じることが出来た!
というのであれば それはよかったね。ですが

その人と出会うことで ものすごくつらかったり苦しかったり
今までに経験したことのないような 挫折感とか絶望感とか そういうネガティブな感情を感じることというのも
ある意味では よかったね。ということだと思うのです。

なぜなら
人間が成長するときというのは
成功体験もさることながら 大きな挫折感とか絶望感によって
自分の知らない側面に光を当てることが出来ると思うし
これじゃいけない!って
自分を鼓舞したり 自分の内省をして 自分を変えようとしたり
もんどりうって 努力するものではないでしょうか。

ですので

そういう自分の変化の きっかけになってくれる人というのは
あながち 自分にとっての「良い人」ではなく
自分にとっての「なんで 出会ったんだろう?」と思うような苦しい人だったりする。

私も出会いました。

ものすごく苦しい人に。


その人のお陰で 涙を流し 絶望し 死ぬことを考えたりしましたが
今の自分があるのは まさに その体験があったからこそ。


苦しい出会いが 何回も続き
毎回同じような感情に落ち込む。という体験を続けている人がいるとしたら
それは たぶん
「運命の人」だという自覚がないから。
この人によって 自分は苦しみながらも成長するのだろう、という 覚悟がないと
何回も 同じようなタイプの人に出会うことになるんじゃないかなあ。


今回の出会いは 失敗だった。
私にとっての「運命の人」は まだ出会えていない。
なんて
思い込んでいたとしたら
その 苦しい感情のループは 終わらないかもしれない。


苦しい「運命の人」に 出会えて 本当に良かった。
自分が変わったのも 成長したのも その人のお陰だわ。
と 思えたとしたら

そのループから 抜け出して
全く違う タイプの人に出会えるようになるのかも。


結局
なんでも どんなことでも
貪欲に そこから 何かしらを吸収して 自分の糧にしようという
意志の力があれば
運命は 楽しい方向に開けていく

「意味づけ」への「意志」


これが 明るい未来への 最大のエネルギーだと
思うわけであります。







増上寺のサツキの気合
芝の増上寺


日に三回の行がありますが
お昼は 11時半から。この時間は誰でも入れます。

本堂では お坊さんたちのお経の声が綺麗に響きます。

ここは すきっと気持ち良い 空間で
個人的には 築地本願寺よりもずっと好きです。

お坊さんたちの声が すがすがしく響くんです。


その境内にあった サツキのお花なのですけど

ほかの場所のは 満開でしたが こちらの株は みいいんな つぼみ。

全部つぼみの状態のサツキって なんか初めて見た。

せいぜい一輪とか二輪とかは 咲いてるものじゃない?

これ全部 つぼみ。
しかも みんな くっきり 上を向いて しゃきっと!してるところが
なんか健気で・・・・・


ついつい写真を撮ってしまいました。



新しい考え方の人
この方は 本当に面白い方だと思う。

キングコング西野さん「お金の奴隷解放宣言」
http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html


絵本の描き方も新しいし
その絵本を無料公開して みんな「読んで!」って。

無料公開したことで 中身を知って 買ってくれる人が増えているという。



新しいですね。


こういう考え方をする人がどんどん これから増えていくのでしょうね。


お金を貯めるために働くとか。
贅沢をするために お金が欲しいとか。

もう すでにその段階で奴隷状態。


お金は 何かを実現するための手段だから
やりたいことが決まれば それを実行するためのお金は 必ず手に入ることになっているのに。

「お金」そのものを目的にするなんて 馬鹿げている。

お金の意識から解放されると お金は自分の中で自由になって
むしろ 「私の意志」で動いていく。

それを こんなふうに あっけらかんと 言及してくれると 潔い。



この絵本 さすが プロたちがたくさん手助けして仕上げただけあって
とても綺麗な絵。

確かにこれを見たら お母さんは こどものために買うかもしれない。