AT EASE代表 長畑 佐代子のオフィシャルブログ

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何もしない時は 生産的だった。
時間が空くと
何かしないともったいない
何もしないと罪悪感
みたいな強迫観念が 若いうちはすごかったわけです。
非生産的なことをやっている自分が許せない、みたいな。

家にいるときは そういう時間が出来ると
窓拭きしたり
台所をいつもより丁寧に掃除したり
引き出しの整理をしたり
そういうことを ちまちまやることで
「やった感!」が生じて満足する。
みたいなことをしていました。 動きまくってたわけ。

ところが
現在は 
ポカっとあいた時間
音楽も聴かないで もちろんテレビもつけないで DVDも見ないで 本も読まないで
何にもしない 時間を作ることができるようになりましたよ。

夜は 一人で過ごすことが多くなったので
余計に そういう時間の使い方 出来るようになったのでしょう。
ぽけーっと 何かを考えるでもなく 放心していると
頭に溜まっていた おり のようなものが 次々に浮かんできて
そこから連想を飛ばしたり 想像が膨らんだりするのです。

音楽を聴いていると そういうわけにはいかない。
音楽を聴いていると コーヒー飲みたくなったり 何かつまみたくなったり
ちまちま動くことになる。雑誌読みたくなったり。

音楽も消して
無音の中で 身を委ねると
不思議と 日常とは違った景色が感じられるようになる ということに気が付いたのです。

最初のうちは 何もしないという行為そのものが我慢できなくて
試しに 音楽消して テレビも消してみると
本読みたくなったりしてしまい 結局何時間も読書しちゃった。
ということになっていましたが
だんだんと 何もしない時間を 5分 10分と伸ばして
今や 1時間は ぼーっとできるようになった。

これは もしかしたら 老化が進んできているのか?
認知症になると 何もしない状態が 一日続いちゃったりしても平気になるみたいに。

その時は その時
何も考えない 悠久の時間を楽しめばいいですね。

今は そうじゃない。
何かしたくて うずうずする衝動を抑え込んでの 「何もしない」だから

何もしないことが 面白い発想や 着想や 悩める結論を引き出したりしています。

すべての雑音をシャットアウトすると
もしかしたら 守護霊さんとか そのへんのエネルギーと交信しやすくなるのかしら。
なんて・・・・


とにかくも 自分の底に潜んでいた 自分の声は聞こえる。
という発見がありました。
「ながら」では 発見できないものが発見される。
これが 最近の 大発見。

こんなふうに そのうち何時間もの瞑想が出来るように 繋がっていくのかな。



良心の呵責
原因が不明の体の不調。

何をやっても良くならない症状とか。
カリスマ整体師のところにいっても 治らない。


こういう時は だいたい心からきているということを
整体師は知っています。

たいがいは 良心の呵責から。

良心というものは 大いなる自己とか 守護霊に代わるものとして
私は認識していますが
自分に嘘をついていたり
人を故意に傷つけていたり
そのような 自分の心を偽らざるえない場合 良心が発動するようです。

どんな悪人にも 良心はあります。
残虐非道なことを平気で行うような人間にも 大いなる自己は存在するはずなので
自分で意識していなかったとしても 良心は自分の行為を見ている。
だからこそ 自分の行いに対して 結果として地獄へ落ちるということになるのだと思います。
つまり
自分が自分を地獄へ落とすということ。
地獄というものは 自分が作り出すものだと思っています。
だから 逃げられない。何しろ自分が自分を落とし込むものなのだから。

そこまで ひどいことをしていなくても
自分の心を偽っていると 良心が発動して体にメッセージを送ってくれる。

気が付きなさい、と。

私も経験しました。
亡き母が入退院を繰り返していたとき
プライベートでも 大変な時期で 慌ただしい時期でした。
母の不具合に 気持ちの上でまったく寄り添えなかった。

背中の筋肉がよじれました。しまいには 右手が動かなくなり
包丁も握れなくなるというまでに。
その不調はなんと数カ月も続いたのでした。

自分の気持ちに気が付いて その気持ちを否定せずに 受け入れたときに
体の不調はあっというまに消滅しました。
つまり 自分の自己本位な気持ちや 母への本当の気持ちなどをしっかり受け入れたときに。



良心の発動に 気が付かないと
その症状は 次第に重くなります。
それはメッセージだから。
原因不明の不調がつづいていたら 心に手を当てて
自分の気持ちを 探ってみたらどうだろう。
今の私の気持ちはどうなのか?  自分に嘘をついていないか?

心が解放されると 身体が解放されますね。



もう一つのエネルギーヴァンパイア
人のエネルギーを食べる人はいます。
その人に会うと 妙に疲れる ひどく落ち込む。いますよね?
それは 相手のエネルギーを奪って自分のエネルギーにする人だからだと言われます。

この場合は すぐにその人がエネルギーヴァンパイアだと認識できるから
気を付けることは出来ます。

誘われても 断る。
とか
その人の話を真剣に聞かない。
とか
強力なお守りを身に着けて会う。
とか・・・・

分かりやすいヴァンパイアなら 手を打つことが出来ますが
ヴァンパイアだとは分からない人もいますね。

その人自身に 大きな人脈があるとか 地位があるとか お金があるとか
そういう人間は この世では 人生の勝者とみなされ
運が強い ラッキーな人と 認識されます。

ですので 周囲は その人の人脈や地位やお金を利用しようという下心もあって
お友達になろうと努力します。

ところが 資本主義の危ないところで 実はその人自身が他人のエネルギーを食って
資本主義的に 勝ち組として大きくなっているという場合もあるようです。

その人の存在感が大きいから ある程度高い技術を自負する人は
自分の価値をさらに その人によって高めてもらおうと近づくのでしょうが
あるいは 自負できる技術がない人も その人に取り入ってうまく引き上げてもらおうとするかもしれません。

しかしながら
さすがにヴァンパイアだけあって
近づいてくるそこそこ能力の高い人間の 名誉を上手に横取りしてしまうことが上手であったりします。

知らないうちに 自分が自力で勝ち取ったはずの 名誉や賞賛を ヴァンパイアに食べられてしまうので
その人の近くにいると いつまでも それ以上 自分がのし上がることが出来ません。
いつまでも 牛尾のままで いてしまう。

本当は 自力で もっともっと芽が出るはずなのに
ヴァンパイアの 力を利用しようとするばかりに反対に自分のエネルギーを食われ続けることになります。

誰とつきあうかは 見極めないと大変です。

というか

持ちつ持たれつで 大物と言われる人に群がっておこぼれをわずかながらも頂戴してきたことがおそらく今後の世界では出来なくなると思います。

もうすぐ 世界が大変化していくから。


これからは 自力で勝負する人がうんとうまくいく。
そういうことがたぶん容易になると思うのです。


ヴァンパイアに 知らないうちに利用されるのはもうやめよう。
人の力を利用して のし上がる世界はもうなくなるかもしれません。

能力がそれほどないのに 見せかけだけが良く見えるものとか
中身がさほどでもないのに なぜか うまく宣伝されて人気のあるものとか 人間もプロダクトも
きっと 全部 淘汰されるにちがいない。

私はかなりの変人なので 幼いころから独自の世界だけで生きてきましたが
これから 世界がものすっごく変わるということは 心と体にびしばし感じています。
今までの人生で感じたことがないくらいの実感で。

もう 表面をとりつくろう努力なんかしなくていい。
中身だけをしっかり磨いていけば その価値が輝く。




久しぶりの投稿なのに また変なこと書いてしましました。

読んでくださってありがとうございます。



誰よりも自分を信じ そして疑え
映画「新聞記者」の中で
主人公の自宅の机の前に貼られていた言葉ですが

これは まさしく私の人生のスローガンでもあります。


幼いころから 人には見えないものが見えたり 感じたりすること。
これは 自分の脳の一部が壊れているからかもしれないという
恐怖を感じて生きてきました。
自分の感覚を全否定していたわけです。
当然 自分の経験を親にも話したことはありません。

長じて シャーリー・マクレーンや ユング心理学や 
江原さんのおかげで そのような霊的なものが なんとなく市民権を得るようになってから
私も「ここにいていいんだ」という 自分を受け入れられる状況になりました。

ですので
私は自分を信じていい。だけど 同時にずっと疑い続けなければいけない。

そう 肝に銘じて生きてきたのです。

自分を信じられなということはとてもつらいことです。
自信が持てないわけだから。

人はみな いろんな特徴をもって生まれてくるから
周りの人と違うところがあっても 本当は全然おっけーなのに
平均から逸脱すると いじめられたり 押さえつけられたり
それでますます 自分を受け入れることが難しくなってしまうと
幸せから 遠のいてしまします。

どんなことも まずは 自分がまるごと受け入れるしかない。
そのうえで 何故逸脱しているのか しっかり内省すればいい。
私は内省期間が すごく長くて 開き直るまでに時間がかかりましたが
おかげで 私のこどもには 平均の押し付けをしないですみました。
変わっていて当たり前。むしろ個性的じゃん。
 
だから お母さんたち
あなたのこどもが 平均でなくても まるごと「それでいい」って
言ってあげてくださいね。
私も 素直に幼いころに母親に話して そう言ってもらえたらどんなに楽に生きられたか。


今は だんだんそういう変な感覚と うまく共存できるようになって
しっかりスイッチを切ったりできるので 日常生活になんら不都合はありません。
むしろ 楽しいことの方が多いくらいです。

「手放す」の 最終段階でしょうか
世の中が 激烈すぎて・・・・

たった今も 関東地方で地震がありました。
9時11分 発生。

出来すぎた数字で これも人工地震なのかと思ってしまいますね。
こんな記事もあることだし。
「人工地震 原発事故 気象改変・・すべて米国の災害ビジネス」
https://tocana.jp/2018/12/post_18991_entry.html


震度4ですが 都市部は騒ぎますね。
高層ビルは 簡単にエレベーター止まりますし。


世の中が あらゆる意味で揺れている感じです。

私個人も 揺れました。
手放したはずの 自分のコンプレックスに。
まだ あったんだーーー。と 感動すら覚えるけれど。


次なる次元への 振り落としが 今後どのくらい続くのでしょう。
地球時間の 数十年なんて ほんの一瞬にもあたらないでしょう。
新しい波動に 心と体が順応するのに 時間がかかるのは嫌ですね。
早いとこ 面倒なものは手放さないと 今後揺れまくることになってしまいそう。

うわ くわばら くわばら ((+_+))


早く 落ちた波長を引き上げようっと。



次元操作能力が高いゆえに
次元操作能力とは
意のままに周りの現象を引き起こせる能力とでもいいましょうか。

誰しも 大なり小なり持ち合わせている 生来の能力の一つだと思いますが
自覚があるかないか。

「意志の力」スターウォーズでは「フォースの力」のように
言われていましたね。


簡単なものでは
いつも天気になる人。
これも 一つの次元操作でしょう。
大事な行事や旅行の時は いつも天気。
これは 天気になるのが当たり前と思っているから そうなるわけで。

自分が天候を云々できるわけがないと思い込んでいる人は
明日は雨かな 晴れかな とドキドキしないといけない。
本当は 誰でも 出来るはずなのに。


天気だけでなく
こうなればいいのに。と 思った通りに事が運ぶ人。

実は とっても次元操作能力が高いのに 自覚が無いと
自分の不安や恐怖が そのまま引き寄せられて
激烈な人生になってしまいます。


ネガティブな思考をしがちだと
どうしても 「こうなってほしくない」という方向へ自分の意識を向けてしまうので
その通りになってしまったりする。
「ほら やっぱり こんなことになってしまった」って
つまりは 自分が引き寄せてしまっているのに。


実は あなたは 次元操作能力が とても高いんですよ。

人よりも 高いゆえに ちょっと考えたり思ったりしたことが
現実化してしまうので 気をつけましょう。

ネガティブになったら その思考を すぐに捨てる癖をつけたい。

聖書にもありますよね
倫理に反することを考えるだけで罪だと。


若いと どうしても 情緒が不安定になりがちです。
なかなか 安定した気持ちになれないのは しかたないです。
まだ 経験が足りないから。

しかし
次元操作で 情緒不安定は とってもまずい。
不安定なまま 現実化されていくので。

うまくいかないと思っている人は
自分の思考パターンをしっかり振り返って 変更しましょう。

不安を心に抱いてしまったら すぐに 捨てる!という癖を。
災害に準備することとは違います。
災害に自分が出来る準備を しっかりしておくことは 絶対に不可欠ですが
準備万端で 不安を捨てる。
何とかなる。と 言い聞かせる。

だって 誰でも次元操作は出来るはずなのだから。

心に抱いた思いは 必ず実現しています。
それが 望んでいなくても。
今は ますます そういう世界になっているようです。

だから
自分の周りの環境は 自分がつくっているということになるわけです。



子どもを心配する
その子がいくつになっても 自分の子どもは 意識の中でなかなか変わりません。

私の子どもも みんなすっかり成人になりましたが
それぞれ 問題を抱えていたりすると 親としてとても気になってしまいます。

心配
まではいかなくても
大丈夫かな 
という心の小さなゆらゆらが生まれたりするのです。

病気や事故 そのほかにも 仕事のこととか 人間関係とか。
人間の人生には 自分も含めて 山ほどいろいろな選択の場がありますから
子どもだって たくさんの課題に突き当たるのは当たり前です。

大丈夫かなという 小さなゆらゆらは
親であったら 当たり前の感情なのかもしれませんが
それは突き詰めれば
子どもの可能性や 生きる力を 信じ切っていないということでもある。
さらには 子どもの後ろに控えてくださっている 守護霊さんを信じ切っていないということでも。
と考えてしまいました。

大丈夫かな。という 念を送るくらいだったら
あなたは絶対大丈夫よ。という念を送ったほうがうんといいですね。

自分に置き換えたって そう思います。
てか そのように思ってもらいたかったと 心底思います。

それは 自分の子どもに限らず
どんな人にとっても
「あなたは 大丈夫よ」といって送った念は きっととても大きな元気玉のエネルギーに
なるに違いありません。

たくさんの人生勉強をさせてもらったので
自分自身に関しては 結構楽天的に 「絶対になんとかなる」
という 理由のない自信があります。

それは
これから先も 何かあるに違いないけど
何かあっても おそらく それもなんとかなるだろう。
受け入れるのか 乗り越えるのか わからないけど
だから こわくないぞ。
という 自分への信頼です。

自分の子どもは いつまでも 幼いころのその子を連想してしまいます。

でも 彼らも それぞれに大変な人生を しっかり生きて
成熟に向かっているのだから
一抹の迷いもなく 信じてあげたい。
そんなふうに思った 今日この頃です。




乱世にうってつけ
人間には 平時人間と有事人間がいるらしいです。

平時とは 何事もなく平和で安定した状態
有事とは 事故とか災害とか 予測が難しい混沌とした状態

平時人間とは 平和で安定した状況に しっかりはまって生きていける

有事人間は  安定した状況の中では はみ出しがちだけど いざ不測の事態が起きて 乱世になればものすごくアグレッシブに行動できる人 (むしろ混沌としているほど生き生きと生きていける人?)
不安定な状況に振り回されない人

自分がどちらの人間かは 判断できるそうで

20歳までに緊急の事故や財政的な危機を経験している人は有事に対応できる。

トップが 平時人間だと 大災害や大事故など想像を絶することが起きると対処できない。
ぐずぐずしている間に 事態がどんどん深刻化してしまう。


私は 幼いころから不測の事態というものを何回も経験し
青春時代は 自分だけみんなと違って不公平だと すっかりひねた若者になっていました。

若者を過ぎても 不測の事態が続き 自分の未来を予測することが困難な状況が長いこと続きました。
今では もうすっかり開き直って これが自分の持ち味だと むしろ胸を張って言えるようにはなりましたが。

この 平時人間と有事人間という区別を知って
すっかり 楽しくなりました。

今後 世の中は乱世になるでしょう。
政治も経済も混沌になりそうだし
企業は大量リストラを控え
終身雇用は無くなるし 定年まで安定した仕事なんか無くなる
仕事はAIに置き換えられて 構造自体が大変化しそうだし
仕事も下剋上が当たり前になるかもしれない
太陽活動が ミニ氷河期に入って低下していくということは
宇宙線が すごい勢いで地球に降り注ぐことになるから
何が起きるかもっとわからなくなる


ね?

正真正銘の乱世でしょう?
ということは どっから見ても 有事人間の私は アドレナリンが上がります。

今まで 人とは違う経験をしてきたのは 人生の最期の期間で 楽しむためだったのだ!
と 思えば 世の中が混沌とするほど 楽しいではないですか。
やっと私の時代が来た?

今まで 世の中になじみにくいなーと 思っていたとしたら
これからの乱世は そんなあなたのような人間が 活躍できる時代です。

どんな 不測な事態が起きても 平常心を失わないで
理性的に行動できるとしたら こんな強いことはありません。


私のこの世での使命は たぶん理解できています。

数年前 日本中を旅してまわる 不思議な占い師 羅針さんに出会い
私の未来を見てもらったら
邪魔がいくつも入るけど 最終的には目的を全うすると
言ってくれました。

ですので
どんな 邪魔が入っても 志をまっすぐに がんがん進めていけばいい。
乱世ほど 私は力が湧くはずなので
死ぬまで 楽しんで挑戦していきます。




遺体の堆肥化
なんかちょっと衝撃的な記事でした。

「人間の遺体の堆肥化を認める法案が通過 米ワシントン州」

https://www.cnn.co.jp/usa/35136075.html

抜粋します。


堆肥化については「遺体をわらや木片などの自然の材料で包む。約3〜7週間すれば微生物の活動の効果で土に変質する」と述べた。

遺族は施設を訪れ故人の遺体だった土を最終的に受け取ることも可能とし、その利用方法は遺族次第と説明。不要なら、同社が地元の保存団体と協力し、州内の土地を育てることに使われる方法もあるとした。


なるほど。
効率的かもしれない。


京都の桜があんなに美しいのは 遺体が埋まっているから。と言われていますね。
戦争でたくさんの犠牲者が出ると そこに桜を植えてきた。

吉野の桜がみごとなのも
わざわざ あそこに桜を植えたから。

梶井基次郎も「檸檬」の中でこんなふうに書いています。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」

昔それを読んだときに 大変印象に残り
京都にいる老人に聞いてみたら
「埋まってるよ」と言っていました。
遺体のあるところに桜を植えるんだけどね。って。

母が亡くなったとき
本人の希望で樹木葬になりましたが
その時は 遺体ではなく遺骨を埋めたところに母の好きな桜の苗を植えました。
遺体ほどの栄養素は無いけど カルシウムはありそうです。

「お母さんは土の中に消えて 桜になるんだね」と しみじみした覚えがあります。


私のお墓の前で泣かないでください。
私はそこにいません。


肉体が滅びると 魂は自由にアストラル世界を漂う。
魂が抜けた肉体は 土の栄養になって自然を豊かにする。
シュール。

阿蘇の噴火
池袋の老人の暴走
昨日はダンプカーの正面衝突
台湾の地震
スリランカのテロ
今朝はフィリピンの地震

すごく世の中が慌ただしい。
たくさんの人が亡くなっている。
亡くなった人・・・    遺体の堆肥化・・・


考えさせられることがいっぱい。

とりとめのない連想をしました。






ことばの魔力はおそろしや
こんなのを見つけました。


 今回のピエール瀧逮捕の一報が流れた3月13日から遡ること6年前の2013年3月13日に「ピエール瀧・転落死説」が出回っていたというのだ。
 ツイッターでは「2013年3月13日にライブ中、ピエール瀧がステージから転落し、救急車で運ばれたが死亡した」という情報が流れ、ファンは騒然。「担架で運ばれていた」「流血していた」などの目撃情報も流れた。
 しかし、もちろんこれはデマ。これは石野卓球が3月12日のステージ上で、「客が3人しかいなかった、という情報を流したら面白くないか?」「もう、瀧が死んだ!でいいよ」と、いたずら情報を流してみようとお客に“軽く”呼びかけたことが発端となり、流れてしまったウソ情報だったのだ。



逮捕と同じ 3月13日というのがなんとも・・・

何気に流したウソかもしれないけど もしかしたらこの相方石野さんが無意識に未来をキャッチしてしまっていたのかもしれないし
あるいは 言葉が実態を伴って 6年後に実現しちゃったのかもしれないし。
言葉遊びは 気を付けないと。

楽しいものならいいけど こういう人をドキッとさせる類のものはいやですね。

面白半分に流れた言葉が 実態を持つこともあるのかな。


癌のサバイバーの方たちの集会に参加したとき 筑波大名誉教授の村上和雄氏が
言葉に出して 祈ることは 遺伝子に働きかけることだと おっしゃっておりましたが
たしか 村上氏は 遺伝子のスイッチをオンにする という言い方をしていらした。

日本語の言葉は まさに 言霊だから ゆめいたずらにつまらないことをつぶやいてはまずいのかな。
逆もまた真なりで
そっちが本来の使い方だけど
成りたいこと 実現したいことを つぶやけば 当然 それは実態を伴っていきますね。



楽しいことを どんどん つぶやこう。