AT EASE代表 長畑 佐代子のオフィシャルブログ

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「ウィーン・モダン」から「クリムト」へ
国立新美術館で「ウィーン・モダン展」が開催されています。

19世紀末から20世紀初頭のウィーンの 装飾的な文化を いろいろな分野で紹介しています。
建築 絵画 衣装 食器 家具


特に見たかったのは
早逝の画家 エゴン・シーレ
強烈な個性を持つ この画家は やはり天才。

そしてやはり こちらの展覧会の看板はクリムト

どうやらプロトニックだったらしい 愛人の
「エミーリエ・フレーゲの肖像」
本人は気に入らなかったらしい。

後のクリムトの代名詞になった 金箔を初めて使った絵画
「パラス・アテナ」
日本画の影響をこれより大きく受け始めているのが分かりますね。

クリムトが所属していた ウィーン分離派のポスターが また かっこいい!
たくさんのポスターとカードが展示されていますが
どれも 本当に素敵!
展示されていたカードの複製が ぜひ欲しかったのに!ありませんでした。



クリムトを見たら やっぱり こっちもぜひ見ないと!という気になります。

東京都美術館「クリムト展」

こちらは 過去最多の油彩20点以上のクリムト作品が展示されています。

めちゃくちゃ 色っぽい 「ユディト」

クリムトっぽくないけど ものすごく愛らしくてかわいい
「ヘレーネ・クリムトの肖像」

複製だけど 圧巻は 全長34メートルの壁画
「ベートーヴェン・フリーズ」


やっぱり クリムトの描く女性は 素晴らしい!
ため息が出るくらい エロティック。

ルノワールの女性像は 女性の理想像ともいえるもの。
女性なら 誰でも ルノワールに描いてもらいたいと思うのでないでしょうか。
やわらかで穏やかで なおやかな 美しい女性として。

クリムトの女性像は うんと生々しい。
女性の怪しい魅力を これでもか!と表現している。

そして クリムトの描く肖像画は 他の画家とは一線を画す。
「オイゲニア・プリマフェージの肖像」は 参りました。って感じ。
さすがです。
見てください。

やはり クリムト 恐るべし というものが たっくさん 展示されていますので
見ごたえ十分です。


クリムトを堪能して 幸せな一日でした。





無印良品銀座って
開店したばかりの 「無印良品銀座」に行ってまいりました。
私もミーハーだな。

無印は 特に日本製のものがお気に入りで 低価格で質の良いところが好きです。
今は扱っていないようですが 以前 日本製のガラス商品はとてもよかった!

安いガラス製品は イケアとかに たっくさんありますが
薄くてもろい。
けれど 国産のガラスは 美しいのに丈夫です。


新しい店舗は 見せ方がおしゃれでした。
店舗が変わると 人はこんなに買うんだなと感心してしまいましすね。
開店したばかりの土曜日は 夕方も 入店するのに並ぶくらい。

私の好きな籠系 布系が おしゃれににディスプレイしてあるので ちょっとアドレナリンが上がりました。

6階には アートな本が図書館みたいにあり それを椅子に座ってゆっくり読むことができる。
カフェもあるので 飲み物をオーダーすることもできる。
代官山や 銀座の蔦屋みたいです。

6時過ぎたあたりから すきはじめたので ゆっくり見るなら夕方以降ですかね。

店舗の印象は ユニクロ銀座に似てる。と感じました。
以前の有楽町駅前の店舗のほうが 広いしゆったりしている感じでしたが
銀座店舗は 「見せ方」に力が入っています。

一階の ソフトクリームも美味しい。特にほうじ茶ソフトはお勧めです。

上階は無印良品の品物で作り上げた ホテル。

「WA」というレストランがあります。

野菜や食材にこだわった和食のお店。
早速 夕食をいただいてきました。


ごはんもおいしかったし お野菜も おかずも
正しい和食という感じで 体に優しかった。
食べ疲れすることもなく 嬉しい食事でした。

添加物や油に弱いので 外食は和食が中心になりますが
ここの和食は 正しい。


今回
私はイラクサ製品を購入しました。
ガサガサした感じが ワイルドで好き。💛
イラクサの糸玉も購入したので それでコサージュを作ってみよう。



マックイーン モードの反逆児
アレクサンダー・マックイーン
とんでもない想像力と破壊力を持ったデザイナーという印象でした。

自分の「マックイーン」といブランドを維持するために
ジバンシーや グッチに雇われて こき使われて
疲弊しちゃったのか。

彼の伝記的映画ですが
どうしてマックイーンは あんな悪魔的なデザインを量産できたのか。
そして 彼のエネルギーはどこから?

過去のコレクションが デビューの時から遡って 観ることができるので
とても興味深い。

一番の理解者であった お姉さん的なスタイリストを2007年に失い
2010年 母親の葬儀の前日に自死。

どうして あの若さで死ななければならなかったのか。
それが この映画で語られています。

天才ゆえに
過酷なスケジュールを長年こなせてしまった不幸。
孤独の中で 絶望してしまった人。
ファッション界って恐ろしいですね。
どのように才能ある人間からエネルギーを容赦なく奪っていくか。

学生時代は どの科目でも 洋服の絵を描いていたというくらいのデザイン好きで
卒業後は 精力的に様々な技術を貪欲に吸収していく。
田舎の愉快なお兄ちゃんという風貌から
ドラッグで 価値観が転換していったのか 脂肪吸引しちゃって
どんどんやせ細っていってしまって 骨と皮だけになっていく様子。

切ない・・・・

けれど
彼の最後のコレクションは 本当に圧巻!!!!
命をかけた 総決算的な迫力で素晴らしいです。

マックイーンという とてつもないデザイナーがいた。
ということは モードの歴史の中で永遠に残るでしょう。

感動的な映画でしたが
映像が 私には 苦しかった。
若ければ問題ないのだろうけど おばさんにとって あの撮り方は見ずらい。
目は疲れましたが 最後に 感動は残りました。


出た! 品田教授の「令和」解釈

東大教授 品田悦一氏



この方の万葉集解釈 ものすごく面白いのです。

万葉集は 貴族だけでなく 一般大衆の歌も掲載されているというふうに 思われているけれど

ちがーう!と おっしゃっていまして

とっても 頭脳明晰で 大変攻撃的なところが 私の好むところの先生であります。



品田教授の 万葉集解釈の講義 東大で一度だけ参加させていただいたことがあり

その時の 印象が強烈です。あったまいいーーー!

なぜ今までの解釈が間違っているのかを 大変明晰に述べていらっしゃいました。

万葉集大御所の大先生への非難を ここまで怖れずにやれるとは! というかんじ。

こういうの大好きなので。


その 品田教授が 「令和」の本当の解釈を緊急投稿してくださったのがあり

それを 記載します。



万葉集 難しいんですよね。

ちょっとだけ お勉強しましょう。

長いけど 読むと面白いですし 賢くなります。

特に面白いところは 赤字にしました。



********************



新しい年号が『令和」と定まりました。
 典拠の文脈を精読すると、

  権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない

 という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。

 この点について私見を述べたいと思います。
 なお、この文意は『朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、
 まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目におけたところ、
 緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、
『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。
 天平二年(七三〇) 正月十三日、大宰府の長官(大宰帥:そち)だった大伴旅人が
 大がかりな園遊会を主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌を
 まとめるとともに、漢文の序を付したのです。

 その序に「干時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。
〈 折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ 〉というのです。

 これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、
 全体の理解と部分の理解とが栂互に依存し合う性質を持ちます。
 一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。

 この場合のテキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。
 八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)
 さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていまずから(八四九~八五二)、
 序と三八(三二+ニ+四)首の短歌の全体の理解が
「干時初春令月、気淑風和」の理解と相互に支え合わなくてはなりません。

 さらに、現代の文芸批評でいう「 間テキスト性 intertextuality 」の問題があります。
 しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、
 奥行きのある意味を発生させる関係に一注目する概念です。

 当該「 梅花歌 」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、
 もっとも重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「 蘭亭集序 」の名が早くから挙がっていました。
 この作品は書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、
「梅花歌』序を書いた旅人も知悉していただけでなく、
 読者にも知られていることを期待したと考えられます。

「 梅花歌 」序の内容は、字面に表現された限りでは
〈 良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。
  そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。

「 蘭亭集序 」の詩句や構成を借りてそう述べるのですが、
 この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、
 原典の文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。

「 蘭亭集序 」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて
 歓楽を尽くそうとするむねを述べており、
 ここまでは「 梅花歌 」序とよく似ていますが、
 後半には「 梅花歌 」序にない内容を述べます。

 人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。
 だからこそ面白いともいえる。
 人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。
 昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を統むと、
 彼らの思いがひしひしと伝わってくる。
 私が今番いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか ……。

「 梅花歌 」序には、人生の奥、深さへの感慨は述べられていません。
 続く三二首の短歌も、
〈 春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ 〉(八一五)やら、
〈 梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか 〉(八二〇) やらと、
 呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、
 そしてそれは、旅人が大宰府の役人たちの教養の程度を考慮して、
「 蘭亭集序 」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが、
 旅人自身は 「 蘭亭集序 」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。
 その証拠に、上記『 員外思故郷歌 」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)
  … わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。
    空飛ぶ仙薬を服用してむ若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賎しきあが身またをちぬベし(八四八)
  … 空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

 というのです。
 人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。
 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。
 旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、
「 都見ば 」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 都はどうなっていたか。
 皇親勢力の重鎮として旅人が傑い信瀕を寄せていた左大臣、長屋主
 ── 平城京内の邸宅跡から大量の木簡が発見されたことでも有名な人物 ──
 が、天平元年つまり梅花宴前年に、
 藤原四子( 武智麻呂・房前・宇合・麻呂 )の画策で濡れ衣を着せられ、
 聖武天皇の皇太子を呪い殺した廉で処刑されるという、
 いともショッキングな事件が持ち上がったのでした。
 この事件は後に寛罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。

 旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、
 遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。

『 万楽集 』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、
 梅花歌群の少し前、天平元年のところには、
 旅人が藤原房前に「悟桐日本琴(ごとうのやまとごと)」を贈ったときのやりとりが載っています。

 事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。
〈 君たちの仕業だろうと察しはついているが、あえてその件には触れないよ 〉
〈 黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物はありがたく頂戴しましょう 〉
 と、きわどい腹の採り合いを試みている
 ─ あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、
 とにかく、巻五には長屋王事件の痕跡、が書き込まれている。

 巻五だけではありません。
 巻三所収の太宰少弐(次席次官〉小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛なり (三二八)

 は、何かの用事でしばらく平城京に滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、
『 続日本紀 』によれば老は天平元年三月、
 つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、
 たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。
 すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる
 ─ そういうことが行聞に読み取れるのです。

 また巻四には、長屋主の娘である賀茂女王と大宰府の官人だった
 大伴三依(みより)との交情が語らえていて、
 三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです (五五六)。

 さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、
 直前に、長屋王の嫡子で事件のさい自経した、膳王(かしわでのおおきみ)の作を
 配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件を喚起する仕掛けに相違ありません。
◆偶然の符合にしては出来すぎている。


「 梅花歌 」序とそれに続く一鮮の短歌に戻りましょう。
「 都見ば賎しきあが身またをちぬベし 」のアイロニーは、
 長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。
 あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。
 王義之にとって私が後世の人であるように、
 今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。
 その人々に訴えたい。
 どうか私の無念をこの歌群の行聞から読み取って欲しい。
 長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。
 権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。
 だが、もはやどうしょうもない。私は年を取り過ぎてしまった ……。


◆これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人のメッセージなのです。
 テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。

 断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。
 つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで
 安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。

 もう一つ断わっておきますが、「 命名者にそんな意図はない 」という言い分は通りません。
 テキストというものはその性質上、
 作成者の意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理ら政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。

 一つは、新年号「 令和 」が〈 権力者の横暴を許さないし、忘れない 〉
 というメッセージを自分たちに突き付けてくること。

 二つめは、この運動は『 万葉集 』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。

 もう一つは、よりによってこんなテキストを新年号の典拠に選んでしまった
 自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです
(「迂閲」が読めないと困るのでルビを振りました) 。

 もう一点、総理の談話に、『 万葉集 』には
「天皇や皇族・貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌 」
 が収められているとの一節がありました。
 この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、
 今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家のあいだには一人もおりません。
 高校の国語教科室もこうした記述を避けている。
 かく言う私が二十数年かかって批判してきたからです。
 安倍総理 ─ むしろ側近の人々 ─ は、『万葉集』を語るにはあまりに不勉強だと思います。

 私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった12ページですから、
 ぜひお目通しいただきたいものです。
 東京大学教養学部主催の「 高校生のための金曜特別講座 」で語った内容ですから、
 高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います。

【記】
 品田悦一「 万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」
 東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』2017.8 白水社

奇想の系譜 すっごい面白い

東京都美術館で 現在「奇想の系譜展」が開催されています。


若冲や 蕭白は もう今までたっくさん見てきたし
今回は いいかなと思っていたのですが

娘が感動したと言うし
息子が 京都から日帰りでわざわざ見に行ったというし

やはり 見ておこうと 行ってまいりました。


岩佐又兵衛を 私は初めてこの展覧会で見たのですけれど
すごかったです。


「奇想の系譜」は 東大名誉教授の 辻先生が 1970年に出版したもので
辻先生によって 今やすごい人気になった若冲という画家が 現代日本に見出されました。
若冲以外にも 曽我蕭白や 長沢芦雪 狩野山雪 など。

辻先生 一押しが 又兵衛なんですね。



岩佐又兵衛の 絵巻物が圧巻でした。

「山中常盤物語絵巻」 全長なんと150メートル。
MOA美術館が所蔵しているので 今回の展覧会前は MOAで展覧会があったようでした。




殺害シーンが 生々しく ものすごい迫力で
ついつい目が引き込まれてしまいます。

「浄瑠璃物語」




物語の詳細な描写が そのまま絵に写し取られています。
主人公の 着物の柄や文様
部屋のしつらえ

絵全体に 焦点が合わされ 強烈に緻密に描かれており
息をするのを忘れるくらいです。


 
展覧会見た後 辻先生の「岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎」
という本を買ってしまったくらい。

又兵衛の絵巻が 浮世絵の始まりだと。
又兵衛の描く 人の表情がなんとも 素敵で 
合戦場面や 殺戮場面なのに どこかユーモラスなところもあり。

私は 大好きな ブリューゲルを 思い出していました。


7日日曜日までの展覧会なので
こんな 終了間際で 申し訳ありませんが
東京で見られる間に 日本画好きは ぜひ見てほしい!!!!

 

トルコ至宝展 初日

海外ドラマ オスマン帝国外伝にはまっているわたし。

 

国立新美術館で 本日より「トルコ至宝展」始まりましたので

初日に行ってまいりましたとも。

 

ドラマの主人公 スレイマン1世の長衣! これが!あの!

という感じで 一人 興奮していました。

 

何よりも 宝石がでかい!!!!

天井飾りや 短剣の握りに使われた エネラルド の大きさが半端ないのです。

 

大きな石が大好きなので

数々の宝飾展を見てきたのですが

どうやら 私はダイヤモンドよりも でかいエネラルドを見ると 興奮するということを

再確認しました。

 

アドレナリンが ぶわっと上がります。

なぜ エメラルドなのでしょうか・・・

 

こんなにトルコにはまるとは 自分でも驚きなのですが

以前の記事にも書きましたけれど

自分的には前世が 16世紀のトルコだったと勝手に妄想しているのです。

それも トルコ人ではなく ユダヤの商人だったと。

何しろ

このドラマを見たら 装飾品や衣服や布に はまるはまる。

みんな好きなものばかりで びっくりしてしまったわけで。

 

中でも 一番の驚きが 理想の男性像を見つけたのです。

今まで 日本人にも白人にも この顔がものすごく好き!という男性にあまり出会わなかった。

奥様方が 昔騒いでいた 韓流にもまったくときめかず

私って ドライなんだな、と思っていたのですけれど

 

違いましたね。

このドラマの 小姓頭 マルコチョールが まさに!ど真ん中!の男性だったのです。

 

 

筋肉隆々 背中もたぶんシルバーバック(ゴリラの)

切れ長の目 眉毛が濃く 顎がしっかりしている。

なるほど これが 私が惹かれるイケメンだったのか!

まさか トルコにいたとは。

人生60年にして 初めて自分の理想の男性を見つけるなんて・・・・・

うっわ 息子と同い年だ。

 

トルコで一番の超絶イケメンモデルだという。

 

 

そういうわけで 今回の展覧会

宝石や 布など わくわくするものがたくさんあって

若返りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

海外ドラマにはまっています

30年近く前になるでしょうか。

デビット・リンチの「ツインピークス」にみごとにハマった時期がありました。

あれのおかげで ブルーベリーパイにもはまってしまい・・・・

 

簡単に翻弄される視聴者となっていましたが。

 

その後

韓流にも全くはまらず ドライな状態を長年キープしてきたのですが

以前にも書きましたが トルコのドラマに夢中になっています。

 

「オスマン帝国外伝」

あれ 平日毎日1時間放送するので 一週間で録画が5時間たまるんです。

それを見逃すと さらに次の週の分で追い込まれるので

なるべくその日のうちの空き時間に 忘れないように見ないとならない。

 

どうしてこんなにハマっているのかというと

お姫様たちの衣装が素敵。ヨーロッパのお姫様の衣装には何の感慨もないのに。

私は「フリル」には何の関心もないのです。フリフリの衣装とか全く関心なし。

ふわっと膨らんだ袖にも興味なし。

ところが トルコの衣装は フリルやふわふわではなく刺繍やベールで勝負、みたいな。

生地の文様や 垂れ下がる袖 ジョーゼットのような透け感のある素材。

 

衣装に合わせてつけられる宝石のデザインとか 髪飾りが毎回違うこととか。

見てて楽しい!

 

私が好んできた生地が 毎回趣向を変えて出てくるのがたまりません。

私は若いころから 「生地」が好きで 素敵なものをみると買わずにはいられなくなる。

特に透け感のある素材は大好き!なのです。

生地とか織物とか。それらが これでもか!と出てくるのです。

好きなものばっかり!

 

男性の衣装もいいんですよねー。ベストとの組み合わせとか 生地の組み合わせがほんと素敵。

 

これは たぶん 前世のアラブ時代の魂の記憶なのかもしれません。

すごく親近感がある。

 

そんなわけで 毎回様々な衣装を見ることが面白いのと

異民族の奴隷出身のヒュッレムという寵姫が のし上がっていく様がすごい。

なにしろ 祖国の家族は殺され奴隷として売られたところからの這い上がりなので

怖いものがない。

これは ものすごい強いですよね。

だから 皇帝とも精神面で互角に勝負するので 誰も勝てない。

周りのどんな寵姫たちよりも 精神がコンクリートみたいに強固。ほんとみごとな強さ。

 

自分の敵はどんな手段を使っても排除していく その迫力に毎回「すごいなあ」とため息が出てしまいます。

歴史的にも存在している人なので

もしかしたら ドラマよりもすごかったかもしれません。

 

 

あと イギリスのドラマで 「ダウントン・アビー」

こちらは 貴族の光と影で 登場人物全部がものすごい展開で物議をかもしだしていくので

見逃せませんが。

私的な見どころは 花の扱い方。屋敷を飾る花が素敵。テーブルの上の花とか。机の上の花とか。

トルコドラマには見られない 花の扱い方が好き。

正装の時の ロングネックレスにも興味はつきません。

 

いまだに こういう貴族がまだイギリスにはいるんだね。

さすがに いまだにアメリカに陰では君臨しているイギリスだわ。と イギリスの底恐ろしさに感心します。

 

これを入れると 毎週録画の嵐。

こんなに ドラマを見ることはかつてありませんでしたが

もはや 趣味の領域です。

 

毎日のわくわくが こんなところにあるのも楽しいものですね。

 

あ ちなみにロシアドラマ「エカテリーナ」も見てましたが あれわ全く私の関心を引きませんでした。

生地にしても 花にしても 宝石にしても アクセサリーにしても

私の好きなものは 何一つ出てこなかったので。

 

たぶん フランス貴族のドラマがあっても同様に興味をひかないだろうな。

 

ツインピークスは おどろおどろしい感じに 無性に引き付けられましたが

今は 完全に自分の趣味の範囲内のドラマに限られています。

 

 

 

 

アリー スター誕生

「アリー」観てきました。

 

ストーリーは どっちかというとありがちな感じ?かなあ。

しかし さすがの レディー・ガガ

 

楽曲はどれも素晴らしいし

彼女の歌唱力は圧倒的!だし

演技も上手い。

 

一緒に鑑賞した 夫は

むしろ単純なストーリーだったからこそ

ブラッドリー・クーパー演じる ミュージシャンに相当に感情移入したそうな。

 

ブラッドリー・クーパーは 間違いなくかっこいい。

切ない ヒーローを演じて

しみじみさせてくれる。

 

歌といえば 「ラ・ラ・ランド」は  あまのじゃくな私は全く感動できなかったんです。すみません。

だけど

これは 歌が良かったーーー。

 

あっちの俳優さんって どうして演技だけでなく歌も上手いんだろう?

マドンナや マライヤ・キャリーもだけど

偉大な歌手は どうして演技も上手いんだろう。

 

すごい。

 

 

 

今 QUEENなのか

10代のころは ロック少女でした。

プログレッシブロックと言われていた
ザ・フー
エマーソン・レイク&パーマー
レッド・ツェッペリン
なんかに夢中になっていました。

そんな中で 同級生の友人が
「お願いだから これ聞いて」
と言って渡してくれたのは 一本のカセット・テープ (うわ!懐かしい)
そこには クイーンが!

それから クイーンというバンドを知り
フレディ・マーキュリーという 異様なオーラを醸し出しているシンガーを知ったわけです。

その頃の私は 正しい思春期の少女でしたので
ロンゲのイケメンに恋をしていまして
ジミー・ペイジとか
ブライアン・メイとか


さて
見てきましたよ。
「ボヘミアン・ラプソディ」

メンバーたちにクリソツです。
歌は もちろん 亡くなったフレディのものでした。

久々に聴きましたが
すごい!!!

10代の頃を はっきり思い出しました。
音楽ってすごいですね。
あっという間に 自分の10代の感覚を取り戻しちゃう。
体中にロックの魂が蘇った。
もう自分の中には ロックの欠片も無いんじゃないかと思っていたのに
まだ あった!
ロックを聴いて 血がたぎる感じが 残っていましたねー。
確実に若返りました。

懐メロって 大事なんだな。

あの頃の レコードは 全部なくしてしまったから
もう一度 CDを買ってこないと!
癒し系音楽ばかり聴いている場合じゃない。

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クイーンを知らなかった若者たち。
フレディの声を聴いてくれ!
4オクターブをたたき出す あの声を。

こどもの生歌の力

久しぶりにこどもたちの合唱を聴きました。

 

NHK東京児童合唱団 定期演奏会

オペラシティにて。

 

 

「歌が好き!」というこどもたちが

学校とは別に 週に何時間もしっかり練習を積んで

技術も素晴らしく向上させた上で 歌ってくれる歌

 

学校で行われる合唱コンクールも楽しいですが

とにかく 歌が好き!というこどもたちが 集まって ものすごく練習して

新しいジャンルの歌をこれでもか!と挑戦している姿は 美しい。


楽しくないわけがない!!!です。

 

 

こどもの生の歌の迫力は 本当にすごくて

圧倒的なエネルギーをぶつけてきてくれるので

それを はっしと受け止めると 自分の身体が思いっきりチャージされる。

 

ちょっと元気がないときも

くさくさするときも

こどもたちの 天使の歌声を聴くと

まるで 心地よい波に揺られる海の中のよう。

 

歌声が降り注ぐシャワーのように 身体を満たしてくれます。

 

 

 

こどもの合唱を 聴きに行ったことが無い方

是非!!! 体験してみてください。

 

とても 気持ちが良くて

とても 元気をもらえます。

 

たっぷりの3時間

声の海に漂って 若返りました。

 

ありがとう。心から楽しみました。